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元寇(蒙古襲来)

まずは問題を解いてみよう

(1)13世紀、元(a)が二度にわたり北九州を襲った。

下線部(a)の軍の戦い方の特色を資料Ⅰを参考にして簡潔に答えなさい。

 

資料Ⅰ

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(2)この戦いの後、鎌倉幕府における主従関係が崩れていった。その理由を御恩と奉公の関係に着目し、「御家人」という語を用いて、簡潔に答えなさい。

 

(2008年、2011年 群馬県公立高校入試より改題)

 

答え合わせ

(1)集団戦法をとったり、火器を使用したりした。

(2)幕府の命令に従って元と戦った御家人に対して、恩賞が不十分だったから。

 

 補足するね

(1)まず、右の馬に乗っている武士が1人に対して、左の元軍は3人で戦っているのが分かるね。きったないよねー。馬も血ぃ出過ぎだよね。この戦い方の違いに御家人たちはすごく苦しめられたみたい。

 

日本の武士は源平の合戦の頃から「やぁーやぁー!我こそは」と名乗りを上げてから1対1で戦うのが当たり前だったのに、元軍はいきなり爆弾とか毒矢を浴びせてくる(笑)上の方で爆発してるのが、元軍の使用していた火器(てつはう)。飛び道具は弓矢だけだった御家人たちは相当焦っただろうね。

 

(2)元軍は2回襲ってきたんだけど、御家人たちが頑張ったのと大嵐(神風)が吹いたこともあって2回とも日本は勝つことができたんだ。

 

でも、その後が大変で、御家人は「御恩と奉公」で頑張って戦った代わりに幕府に領地を増やしてもらいたかったんだけど、幕府は与えられる土地がなかった。

そりゃあそうだよね~。元が攻めてきたのを追い払っただけで、元から土地を奪ったわけじゃないんだから。

でも、それが御家人にとっては不満で「話が違うじゃないか!」となってしまった。

 

この頃の御家人は、親が持っていた領地を兄弟たちで分け合うこと(分割相続)を繰り返していたので、領地が小さくなってしまっていたんだ。そうすると、小さい領地からは収入がちょっとしか入らないから、御家人も貧乏になる。

 

だから、戦いで活躍すれば恩賞がもらえると期待していた御家人は幕府にとても不満を持ったんだ。これがその後、鎌倉幕府が滅びる原因になったということで、元寇鎌倉時代の日本に与えた影響はとても大きかった。