承久の乱

まずは問題を解いてみよう

鎌倉時代の特徴

武士による政治(a)

・源氏3代の政治の後、承久の乱(b)が起こった。

 

(1)下線部(a)について、この時代の武士による政治として適切なものを、次のア~エから選びなさい

ア: 分国法をつくった。

イ: 楽市・楽座を行った。

ウ: 御成敗式目を定めた。

エ: 武家諸法度を定めた。

 

(2)下線部(b)について、資料Ⅰはこのときの北条政子の訴えである。資料の「みなの者」とは何と呼ばれる武士か、またこの乱の後、朝廷の監視等を目的として置かれた機関を何と言うか、書きなさい。

資料Ⅰ

みなの者、心をひとつにしてよく聞きなさい。

頼朝公が幕府を開いてから、その恩は山より高く海より深いものでした。

この恩に報いる心が浅くてよいのですか。

敵を討ち、幕府を守りなさい。

(部分要約)

(2009年 群馬県公立高校入試より改題)

 

答え合わせ

(1)ウ

(2)御家人(ごけにん)

   六波羅探題(ろくはらたんだい)

 

いっしょに解いてみよう

(1)ア:分国法は戦国時代なので誤り。分国法は、戦国大名がそれぞれの領国の武士や農民を統制するために作った法律のことだったよね。有名なものに、武田信玄の「甲州法度之次第(こうしゅうはっとのしだい)」があるよ。

 

イ:楽市・楽座は安土桃山時代織田信長が行ったので誤り。楽市・楽座で信長は、商人から税金を取らなかったり、誰でも自由に商売をして良いよと言って経済を活性化させようとしたんだ。楽市・楽座と織田信長はセットで覚えよう。

 

ウ:これが正解。源頼朝以来の武士のしきたりなどをまとめた法律。誰が定めたんだっけ?執権の北条泰時(ほうじょうやすとき)。一緒に覚えちゃおう。

 

エ:武家諸法度江戸幕府が大名に対して定めたものだから誤り。御成敗式目武家諸法度はヒッカケ問題が出やすいからしっかりと覚えよう。

 

(2)承久の乱は朝廷が幕府を倒そうとして起こした戦いだよ。承久の乱を起こしたのは?後鳥羽上皇だったね。

 

その時、源頼朝の奥さんの北条政子が鎌倉に武士たちを集めて言ったのが資料Ⅰ。

答えの手掛かりになるキーワードは『恩』。正解の御家人は、鎌倉幕府と「御恩と奉公」という主従関係で結ばれていたんだよね。

 

結局、承久の乱は幕府が勝つんだけど、その後朝廷がまた悪さをしないように監視する目的で京都に置かれたのが『六波羅探題』。難しい言葉だけど漢字で書けるようにしておこう。

江戸時代にも江戸幕府が似たようなものを置いたんだけど、何だか分かる?正解は、京都所司代(きょうとしょしだい)。これもヒッカケで出やすいところだからしっかりと覚えておこう。